911から10年の総括、Netflix ドキュメンタリー「ターニング・ポイント/9.11と対テロ戦争」を見る

Netflix ドキュメンタリー「ターニング・ポイント/9.11と対テロ戦争」。アメリカは如何にしてタリバンとアルカイダを育てたか。ソ連のアフガン侵攻から、9.11のアメリカ同時多発テロ、米アフガン戦争とイラク戦争、アメリカ軍アフガン撤退まで全5話。9.11WTCテロ事件から10年の節目である今年、この問題をこのドキュメンタリーを軸にまとめた。

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Netflix 「ターニング・ポイント/9.11と対テロ戦争」

1979年、ソ連がアフガンに侵攻。冷戦下のレーガン大統領は、ソ連に抵抗するムジャーヒディン(イスラム教の大義にのっとったジハードに参加する戦士たち)を武器供給で支援。ソ連のヘリコプターを地上から撃ち落とす最新鋭のスティンガーミサイルと訓練士を与えた。9年後、ソ連は撤退。

Netflix ドキュメンタリー「ターニング・ポイント/9.11と対テロ戦争」
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アメリカがジハード戦士ムジャーヒディンに金銭的支援をしたことが、テロの本質を変えた。アメリカ政府もCIAも、政治と宗教が融合していたことを全く理解していなかった。

「アメリカの努力で、ジハード戦士たちの武器は100年前のエンフィールド銃から最新鋭のものに変化した」「最新の武器と資金に招き寄せられ、アフガン-パキスタン国境地帯に各国の若者たちが集まってきていたが、彼らの母国も、西欧諸国も、そのことに注視していなかった」

「アフガンに集まってきた若者の中に、オサマ・ビン・ラディンがいた」「彼は裕福で進歩的な建設業の家庭で育ったが、ジハードの実現に傾倒していた」「彼はアフガンに家業の重機を持ちこんで村々で奉仕し、対ソアフガン戦を支持する人々に、たちまち崇拝されるようになった」。

Netflix ドキュメンタリー「ターニング・ポイント/9.11と対テロ戦争」

オサマ・ビン・ラディンも、最初は米と戦う宗教的理由をジハード中間に説明するのに苦労した。米は、ソ連アフガン侵攻で彼らに武器・資金を供与したから。しかし、父ブッシュ大統領の1990年湾岸戦争以降は、米もサウジを守る名目でイスラム教徒を従属させようとしている」という言葉が説得力をもった。

「オサマ・ビン・ラディンは、一匹狼で敬虔な信者という自分のイメージを作り上げた」「文化の均一化や、西洋の影響や支配に対し、イスラム世界には独自の信仰や生活様式があるのに、西洋を拒否しても強要される」「だから反撃するしかないのだと主張し、アルカイダを作った」

「ビン・ラディンはアメリカを相手にジハードを宣言」「多数のインタビューに答えた」「この男は一体誰なのか」「同時、政府関係者に聞いても誰も知らなかった」「イスラム教の大義に金を出す変わり者と思われていた」。

そして2001年、9.11事件。米国民が感じた大きな怒りと報復欲求に、ブッシュはすぐさま応えた。9.12にはアルカイダの犯行であると発表し、9.18合衆国議会においてテロリストとその支援者・支援国家を攻撃する権限を大統領に与え、10.7に空爆開始。報復を求める米市民がみな何故か笑顔なのが不気味

アフガン戦争でのアメリカの第一の誤りは、テロリスト(個人)への報復をアフガンという国に対して行ったこと。しかもアルカイダはアフガン人による組織ですらない。アフガン政府でさえない一部族組織タリバンの客分であったのにすぎないのに、アフガン国民を15万人も殺した。そのほとんどが民間人。

アメリカ第2の誤りは9月18日、「米合衆国議会でテロを計画、承認、実行、支援したと大統領が判断した国家、組織、個人に対してあらゆる必要かつ適切な力を行使する権限を与える」とする合同決議によって、大統領に強大な権限を与えたこと。反対したのはただ1人、バーバラ・マーリー議員だけだった。

この決議により、「武力行使の権限要求承認は41回」「9.11とは無関係の19の国に、ソマリアやイエメンでも使われた」「国内の諜報活動にも使われている」「世界各地で武力行使する根拠となった」「これは憲法違反」

アメリカ第3の失敗はグアンタナモ収容キャンプ。9.11ハイジャック犯たちは1年前から入国しており、CIAのリストに載っていた。しかしその情報はFBIに効果的に伝達されなかった。この事実に恐怖したホワイトハウスは、賞金によるテロリスト密告と拷問による情報聴取という悪手に手を出した。

アフガンから貨物機で連れてこられた人々は、鎖で繋がれ、フードやゴーグルで感覚を遮断されており、その姿にショックを受けた欧州は「拷問だ」と糾弾した。国防総省は彼らをけして「捕虜と呼ぶな」と言った。捕虜はジュネーブ条約で人権を保障されているからだ。

ブッシュ政権は、ジュネーブ条約は国民国家間で交わされたものであり、テロ戦争の勾留者は国際法下で権利を持たない非人格者であると主張。しかしジュネーブ第三条約第130条はそ「殺人、 拷問若しくは非人道的待遇、身体若しくは健康 に対して故意に重い苦痛を与え、 若しくは重大 な傷害を加えること

「公正な正式の裁判を受ける権利を奪うこと」を戦争犯罪の構成要素としており、「 アルカイダの構成員が捕虜資格を有していなかったとしても、 それらの者に対する 拷問や正当な裁判手続なしの処罰といった非人 道的待遇が許されるものではない。

Netflix ドキュメンタリー「ターニング・ポイント/9.11と対テロ戦争」

しかしホワイトハウスと副大統領執務室は、9.11のわずか数ヶ月後から、米第4の失敗「強力な尋問技術」すなわち拷問プログラムの構築を試し始めた。「24時間の全裸拘束」「24時間の強い光量強制」「24時間の低音強制」。顔に被せたタオルの上から水を注いで「溺れさせる」水責め、箱に押し込める箱責め

グアンタナモへの裁判無収容での収容や拷問は、一種の恐怖政治の始まりだった。「次のテロ攻撃に対する恐怖は社会の毒になる」「そしてアメリカを特別な国にした」「アメリカの評判が地に落ちる」。

マケイン議員「我々が拷問を行うことは、米国のイメージを傷つけ、敵の復讐心を誘発することで、将来的に深刻な結果をもたらす可能性がある」「別の戦争で米国人が敵国に連行されることを想像してほしい。彼らは報復は当然だと考えるだろう」。

第5に、ブッシュ大統領はいわゆる愛国者法に署名した。法執行と監視に莫大な予算が投下され、国家が礼状無しに図書館の閲覧記録を見たり、個人の自宅に許可無く出入りし、物を持ち出したり置いたりすることが出来るようになった。「それは権利章典に記された市民のプライバシー権の核心を無視していた。

権利章典「憲法修正第4条」はプライバシーを守る権利を与えている。自宅に政府機関の捜査官が承認または許可無しに押し入り、書類および所有物ん押収することは許されない。ブッシュ政権は愛国者法によってこれを無化し、さらにこれを電子情報の適用する極秘監視プログラム「ステラウィンド」を強行

アメリカの過ち第6がこの国防総省の国家安全保障局が行っている極秘監視プログラム「ステラウィンド」。政府はベライゾンやAT&Tら企業と極秘の長期特別協定を結び、通話や電子メールのメガデータを令状無く入手している。多くは国内が対象。内容を見ていないのでプライバシー権を侵していないと強弁

通話・電子メール監視プログラム「ステラウィンド」は、外国人情報監視法に違反していたが、ブッシュ政権はこの法律を修正する手続きを踏まず、法律を乱暴に解釈し、違法にならないようにうまく回避していた。

しかし2004年、法律顧問局がステラウィンドの半分は違法性が高いので、プロジェクトの縮小を勧告、激怒したホワイトハウスは、病気で集中治療室にいたジョン・アシュクロフト司法長官から全プログラム続行を承認するサインを得て勧告を覆そうとしたが、怒ったアシュクロフトはサインをしなかった。

ブッシュ大統領は司法長官の承認無しに礼状無しの通話・電子メール監視プログラム「ステラウィンド」の全てを再承認。司法省では大規模な辞任が予定され、行政機関は崩壊しかけていた。こんなことは米国史上どのレベルでも無かったことだった。

2007年、国家安全保障局高官だったトーマス・ドレイクは、礼状無しの通話・電子メール監視プログラム「ステラウィンド」を内部告発(FBIにスパイ罪に問われるが不起訴)。第2のスノーデン事件と話題になったものの、オバマ大統領も多少の変更を施したものの、現在も広範囲の国民監視は続いている。

「9.11以降、政府がグアンタナモの拷問や、ステラウィンドでの監視に積極的に取り組んだのは、本当に恐れを抱いたからだ」「敵の行動をまったく把握できていなかった。パニックに陥った彼らは、可能な限り情報収集をした」「それらは明らかに法律に違反する方法で行われた。強大な権力は必ず悪用される

「9.11は人々の優しさを奪った。叩きのめしたくなったんだ。3千人もの人が亡くなり、誰もが怒りを感じた」「しかし、だからこそ指導者を選ぶ」「冷静な判断力を持ち、社会の価値観を守る」「よりビジョンを持つ指導者を選ぶ」「そうしなければ、事件の後に、元の世界を取り戻すことはできない」

2001年10月3日に空爆が開始されたアフガニスタンのほうは、早くも11月3日にカブールが制圧された。ビン・ラディンはパキスタン国境の地下要塞トラボラに追い詰められたが、「不思議なことに、米軍は特殊部隊を送り込んでビン・ラディンを捕獲または殺害しようとはしなかった」

「理解できない。9.11の首謀者やアルカイダの指導者が米軍の手に届く場所にいたにもかかわらず、彼らを捕獲しようとしなかった」「オサマ・ビン・ラディンを捕獲することこと以上に重要な任務はない」…こうして、ビン・ラディンはパキスタンへと逃亡してしまった。

2001年12月、カブールの人々の表情は明るかった。タリバンの圧政を恐れて地方に逃げていた人々が戻ってきた。音楽が流れ、女性たちはブルカをかぶらずに街へ出た。タリバンに強いられたヒゲを剃る人たちもいた。しかし「米軍は実戦で敵を打ち負かすのが得意だが、そのあとの対応は上手くない」。

「タリバンをカブールとカンダハールから追い出したあと、次に何をするか米軍は計画していなかった」「生活の基盤をどう整えるのか、いかに近代化を進めるのか」「何をしたいのか、いつ何をするべきなのか、米軍はわからなかった」。

2003年、ブッシュ政権の関心はもうアフガニスタンには無かった。「アフガン戦争は、もう一つの戦争への第一歩でしかなかった。イラクだ」「9.11への報復という正当な戦争から撤退し、9.11と無関係な国との戦いの準備を始めた」「アフガンの戦力や戦費は激減した」。

Netflix ドキュメンタリー「ターニング・ポイント/9.11と対テロ戦争」

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この記事を書いた人

生活技術

忙しい生活をまとめてシンプル。新しいライフスタイルを提案するネットマガジン「生活技術」の編集長です。記事へのコメントはご遠慮なくどうぞ。気になることやご不明な点などありましたらお問い合わせフォームからご連絡ください。