ディズニーアニメと戦後日本での影響力:『シンデレラ姫(1952)』の流行と女性衣装

はじめに

現在、日本国内ではウォルト・ディズニー(Walt Disney, 1901-1966)のアニメーション作品に登場したプリンセスをモチーフとした雑貨類が多数販売されている。アニメーションに馴染み深い子供だけでなく、若い女性たちにも広く支持されている。アメリカやイギリスなど世界各国のディズニー・ストアでもアニメーションに登場した12人のヒロイン達がディズニー・プリンセスとして商品展開されている。ディズニー・アニメーションに登場するキャラクター衣装は「実在感」を大切とするウォルトが力を入れていた演出の一つでもある。ストーリーの時代設定を元に、作品公開時に流行したスタイルや色彩を巧みに取り入れていたという。1940年代後半から1950年代にかけて、日本では外国映画からファッションスタイルを取り入れる「シネモード」が流行していた。少女向けの雑誌や漫画はファッション流行を生み出す機能を持っていた。ディズニー・アニメーションの『シンデレラ姫』は公開から日本で繰り返し上映され、女性たちに影響を与えてきた。本稿は、ディズニー・アニメーションの『シンデレラ姫(1952)』が製作された当時、日本における反響と女性たちの服飾にどのような影響をもたらしたか考察したい。

ディズニー版『シンデレラ姫』と服飾表現について

『シンデレラ姫』はウォルト・ディズニー・プロダクション(Walt Disney Production)により製作された長編アニメーション映画である。原作はシャルル・ペロー(Charles Perrault, 1628-1703)の童話『Cendrillon ou La Petite Pantoufle de verre(サンドリヨン、または小さなガラスの靴)』である。古くから伝わる民間伝承をペローが17世紀に少女向けに改編し、その後、ディズニー独自のストーリー展開と演出が加えられた。1950年のアメリカ上映以降、全世界で公開され興行収入は約263億円を記録した。ディズニー版『シンデレラ姫』は原作の17世紀を舞台にしていない。あくまで家屋や衣装などは近代までのスタイルを混在し、描いている。例えば、シンデレラと王子の衣装は20世紀初頭の現代的スタイルで描かれている。ブラウスやスカート、エプロンは丈が短く、17世紀の少女たちとしては袖の膨らみが少ないことが特徴である。江良(2010)によると、『シンデレラ姫』の衣装は第2時世界大戦中のアメリカで制定された「衣服統制令(1940-1945)」を連想させる。戦時中は衣服デザインなどの規制により、資材の使用は必要最低限とされていた。しかし、クレア・マッカーデル(Claire Mc Cardel, 1905-1958)に代表されるデザイナーたちにより、困難な時代でも独自のファッションスタイルが確立されていた。シンデレラの衣装にも、戦時中のファッションへの意思が感じさせられる。シンデレラのヘアスタイルもまた、1940年代後半にアメリカで流行したビクトリーロールを連想している。ビクトリーロールは1940年代のハリウッド女優の間でも広く好まれた。一方、義理姉であるアナスタシアとドリゼラはバストを強調した典型的な17世紀風のドレスであり、シンデレラの方がより現代風のスタイルとして描かれている。さらに、フェアリーゴッドマザーの魔法で変身した後のシンデレラのドレスは、1947年にクリスチャン・ディオール(Cristian Dior, 1905-1957)が発表した『コロールライン(Corolleline)』を連想させる。当時、コロールラインはニュー・ルックとも呼ばれ、ヨーロッパを中心に大流行した。『シンデレラ姫』はアニメーション作品ではあるが、流行を取り入れたファッション描写と細かい演出は成功に導いた一つの要因ではないかと考える。

日本国内における『シンデレラ姫』の受容と服飾流行

次に日本における『シンデレラ姫』の受容と反響について考察する。日本では、ディズニー版『シンデレラ姫』が公開されるまで、グリム版とペロー版の童話が広く認知されていた。1952年2月21日には、東京駅待合室にシンデレラ像が設置された新聞記事が残されており、当時の人気を伺える。貝谷八百子バレエ団の1951年公演『シンデレラ』は、バレエブームと重なり多数の観客動員を記録した。『シンデレラ』は、その物語性から日本国内における戦後の困難と重なり人々に受け入れ親しまれていたと考える。ディズニー版『シンデレラ姫』が公開された1952年は、「日米講和条約」や「日米安保条約」などが発行され、GHQが廃止された年でもある。日本のファッション産業では、「日本ファッション・エディターズクラブ」が発足された。日本織物出版社では「流行通信」が創刊され、アメリカ映画を中心としたファッション特集の書籍が相次いて発表された。GHQの廃止に伴い、ファッション特派員が海外派遣されパリのファッション情報を積極的に紹介する傾向があった。ナイロンやベンベルグなど化学繊維を用いた商品が登場し、ナイロンストッキングの普及も広がり始めていた。当時の若い女性は、ナイロンやエバーグレースのブラウス、フレアタイプのフル・スカートをお洒落な着こなしとして捉えていた。化学繊維の増産により「下着ブーム」が起き、膨らんだスカートは最先端の流行であったことがわかる。こうした、1952年における日本でのファッション流行はディズニー版『シンデレラ姫』の装いと偶然にも合致する。家事や労働に追われるシンデレラの日常服は日本女性の普段着であり、変身後のドレススタイルは最新の流行スタイルと重なる。『シンデレラ姫』は、1950年代前半の西欧ファッション流行と奇遇にも同時期であり、日本女性にとって最新のトレンドを取り入れた作品となったのである。

1950年代の日本ではファッションモデル需要の高まりから、「美人コンテスト」などが開催された。東宝では「東宝シンデレラ姫コンテスト」が開催され、「美しい特別な女性」として「シンデレラ」という表現を用いている。戦時中に多くの男性が戦死し、家長の不在は女性自らが経済基盤となる構造を生み出した。そのような母親世代を見た若い女性たちは、西欧への強い憧れと「幸せ」を求める傾向があったという(尾上, 2002)。女性のサクセス・ストーリーを描いた『シンデレラ姫』は、物語性と衣装から日本女性の憧れが凝縮されていた。『シンデレラ姫』を理想の女性像として捉える観点は、日本独自のグローカル化した文化となりつつある。アメリカでは1981年に「男性に高い理想を求め続ける女性の潜在的な依存願望」を示す言葉として「シンデレラコンプレックス」が提唱された。一方、若桑(2003)によると、日本国内ではシンデレラの存在はジェンダーを論じる際を除き,あまり一般的には否定的に捉える風潮はないという。『シンデレラ姫』が憧れの存在となった背景には、物語だけでなく当時日本のファッション流行が起因していると考える。

おわりに

以上から、『シンデレラ姫』は単にファンタジーではなく、「実在感」ある作品性から多くの女性の共感を獲得したことがわかった。日本では、公開された時代の女性を反映した映画として広く受け入れられた。江良(2010)によると、日本ではキャラクターの個性を単なる虚構としてだけではなく,模倣して楽しみ1 つの価値観としてキャラクターが生を受けているものと同じように受け止める国民性を持っているという。『シンデレラ姫』は単に童話の主人公ではなく、時代の流行を敏感に察知し,最先端の女性として映像で表現されているからこそ若い女性たちに受け入れられているのだ。性格描写から服飾表現に至るまで、同世代性を持ち細部までの演出のこだわりが大人から子どもまで長い年月親しまれる理由だと考える。

参考文献

尾上典子 2002 『Walt Disneyとアメリカ大衆文化;芸術と企業の理想的融合』 亜細亜大学経営学紀要9(2)
若桑みどり 2003 『お姫様とジェンダー;アニメで学ぶ男と女のジェンダー学入門』 ちくま書房
コレット・ダウリング 1984 『シンデレラ・コンプレックス』 三笠書房
江良智美 2010 『日本におけるディズニー・アニメーションの影響力-『シンデレラ姫』(1952)日本初公開時における服飾流行と女性への影響-』 亜細亜大学短期大学部学術研究所
渡辺明日香 2011 『ストリートファッション論;日本のファッションの可能性を考える』 産業能率大学出版部, pp80-87
大沼淳,

荻村昭典,

深井晃子

1999 『ファッション辞典』 文化出版局,pp654
濱田雅子 2009 『アメリカ服飾社会史』 東京堂出版.

この記事を書いた人

@picomac

現在、都内大学生に通いながら就活中。映画、アートに興味があり、特にアジア映画のレビューやレポートを投稿すると思いますが、都内スイーツや食べ物処などもアップ予定です。よろしくお願いいたします。

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